星野仙一氏訃報 死因は?子供と妻・扶沙子夫人は。家庭を守った父と親孝行の娘

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プロ野球・楽天の星野仙一球団副会長が、1月4日に亡くなっていたことがわかりました。

かつては、中日、阪神、楽天、日本代表と、数々の球団をその闘志で指揮してきた星野仙一さん。

最近は闘病のせいか激やせが心配されてきました。

星野仙一さんのご家族、子供と妻・扶沙子夫人や死因について確認してみます。

 

 

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星野仙一

出身地 :岡山県倉敷市
生年月日: 1947年1月22日
身長: 180 cm

 

星野仙一さんは岡山県の出身で岡山商業高校から明治大学へ進学。

1968年にドラフト一位で中日ドラゴンズへピッチャーとして入団しました。

1982年に現役引退をした後は、テレビ解説者としても活躍されましたが、なんといっても記憶に残っているのは球団監督としての闘志あふれる姿ですね。

監督歴としては

中日ドラゴンズ (1981 – 1982, 1987 – 1991, 1996 – 2001)
阪神タイガース (2002 – 2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 – 2014)

と、輝かしい実績をお持ちです。

2015年には楽天球団副会長に就任し、2017年には野球界殿堂入りを果たしています。

 

 

1月4日死去 死因は?

速報の時点では、明らかな死因は発表されていません。

球団関係者によると

「がんで闘病していた」

という情報がありますので、がん闘病であったと考えられます。

ただ、11月と12月に行われた『野球殿堂入りを祝う会』には出席していたこと、大阪のラジオ番組に出演していたこと、年末に予定していた家族でのハワイ旅行を急遽取りやめにしているところを加味すると、急な容態の変化であったことが分かります。

家族と正月を迎え、おせち料理も楽しんだそうですが、2日に倒れ、4日5:25に家族にみとられ、旅立たれました。

 

過去には糖尿病を患っていたことがありますので、すい臓がんは、糖尿病の罹患で合併しやすいことは知られていますし、進行が速いことも知られていますので、可能性はあると思います。

また、腰椎椎間板ヘルニアと胸椎黄色靱帯骨化症という、いずれも難病に悩まされていたということもありますので、体のあちこちが思わしくなかったのは事実ではないでしょうか。

 

一部、激やせという表現もありますが、がんであれば止むをえませんし、年齢的にもお痩せになってくる年代ですのですべて病気のせいと片付けることはできないかもしれません。

 

【追記】

星野仙一さんの死因が急性膵炎から2016年に見つかったすい臓がんであることが楽天によって発表されました。

すい臓がんは早期発見が難しく、5年生存率が他のがんと比べてかなり低いことが分かっています。

楽天による公式発表の全文です。

 

報道関係各位

いつもご取材いただきまして、ありがとうございます。

株式会社楽天野球団は、星野仙一取締役副会長が2018年1月4日(木)午前5時25分に永眠されましたことをご報告いたします。

2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明いたしました。

その後、体調に波はあったものの仕事に支障をきたすことなく過ごしておりましたが、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取られました。

最期は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれました。

故人の強い意思に従い、葬儀は密葬にて執り行われます。

故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。

人前では常に強気を貫いた「星野仙一」のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください。

息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っておりましたように、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした。

故人に代わり、今まで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げます。

尚、後日にお別れの会を予定しております。

詳細が決まりましたら改めてご連絡させていただきます。

誠に勝手ではございますが、供物、供花、弔電などはご遠慮させていただきますこと、ならびに、本件に関わる問合せ先は、株式会社楽天野球団としていただけますようあわせてお願い申し上げます。

 

昼寝をしているかのような安らかな表情で、家族に看取られたことが、星野仙一さんの人生の充実さを物語っているようです。

 

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家族は?

星野仙一さんは妻・扶沙子夫人との間に2人の娘さんがいらっしゃいます。

扶沙子夫人は、慶應義塾大学文学部出身だそうで、知人の紹介で神宮球場にまんじゅうを差し入れしたのが交際のきっかけとなり、プロ入りを機にプロポーズ、結婚という流れであったそうです。

一般の方なのでそれ以外の情報は公開されていません。1997年に51歳の若さで白血病で亡くなっています。

夫人の死去に人前で涙を流すということもありました。

1997年1月31日、ナゴヤドームが初めて選手らに公開された日の朝に、妻・扶沙子さんは息を引き取りました。

闘病生活が終わるころ、夫に

「もう一回、胴上げを見て死にたいね」

と語っていたそうです。

1999年の中日優勝決定の際にはユニホームのポケットにしのばせた扶沙子さんの写真と一緒に7度宙に舞ったという、奥様おもいな一面もありました。

扶沙子夫人がなくなった後は、星野仙一さん男手一つで家庭を守ってこられたということで、頭が下がります。

娘さんについても一般のかたですので、それ以上の情報は明らかではありませんが、年末を一緒にハワイで過ごそうとしていたようですので、親子仲もよく、親孝行な娘さんたちですね。

星野仙一さんは常々、選手たちに

『家族を大事にせぇ』

と語っていたようです。

その家族思いな気持ちはしっかり娘さん達にも受け継がれているようですね。

星野仙一さんが息を引き取る際は、娘さんたちに抱かれるように、安らかな表情だったそうです。

 

 

一緒のハワイが叶わなかったのは残念かと思いますが、娘さんたちの親孝行な思い、伝わってきますね。

星野仙一さんのご冥福をお祈りします。

 

【追記】

星野仙一さんを恩師とする田中将大選手も追悼コメントを発表しています。

 

 

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