【訃報】彫刻家流政之さん死去。残された家族(妻・子供)は?晩年は庵治半島のアトリエで

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世界的彫刻家流政之さんが、死去されたことが分かりました。
 
死因や残された家族子供)について、これまでの活動を振り返りたいと思います。

 

 

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彫刻家・流政之さん死去


 

世界的な彫刻家として知られる、流政之さんが死去されたという訃報が飛び込んできました。

若い年代の方にはなじみの無い方かもしれませんが、世界に名を馳せる彫刻家として、日本としても大きな財産を失ったといえます。

 

 

“サムライアーティスト”として知られる世界的な彫刻家、流政之(ながれ・まさゆき)氏が7日に老衰のため死去したことが17日分かった。95歳だった。

1923年、長崎県生まれ。立命館大学を中退後、海軍予備学生出身の零戦パイロットとして終戦を迎えた。戦後、全国を放浪し独学で彫刻を学んだ。55年、第二次大戦で亡くなった日米戦没搭乗員の追悼個展を開催して彫刻家デビュー。64年にニューヨークの万国博覧会で壁画「ストーンクレージー」を展示して話題を呼ぶ。以後、抽象、具象、石彫、木彫、金属など多彩な作品を制作した。守護神をイメージした「サキモリ」、三味線のバチのかたちをした「ナガレバチ」シリーズで高い評価を得た。その後、アメリカで本格的に始動すると、“サムライアーティスト”と呼ばれて人気を得た。

75年、ニューヨークの世界貿易センタービルのシンボルとして約250トンの世界最大級の石の彫刻「雲の砦」を制作。その後、日本に帰国し、高松市を拠点に制作を続けた。彫刻家として活動するかたわら庭園のデザインも数多く手がけた。

日本建築学会賞、日本芸術大賞、中原悌二郎賞など受賞多数。

<引用元:毎日新聞>

上記のように死因は老衰とされています。

ガンや内臓疾患などに侵されずに95歳まで過ごして来れたことは大往生といえますし、周りで一緒に過ごした家族や関係者に囲まれてすばらしい人生だったといえるのではないでしょうか。

 

 

これまでの活動は?

 

流政之さんは1923年の長崎県出身で、幼少期は京都で過ごしたといわれています。

 

  • 1942年立命館大学進学(後に虫体)
  • 戦時中は零戦搭乗員

 

その後独学で世界を放浪しながら彫刻を学んだといわれています。

 

1967年にTIMEが選ぶ日本を代表する文化人の一人に選ばれるなど世界的な評価を受けています。

 

 

代表作は

 

  • 壁画「ストーンクレージー」
  • 巨大彫刻『雲の砦』
  • 『受』
  • 東京天理教館庭園
  • 皆生温泉東光園庭園

 

などがあります。

 


 

2013年に90歳にして高松市郊外の庵治半島の北端近くにアトリエを構えて住んでいらっしゃいました。

 

 

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家族(妻・子供)はいる?

 

流政之さんは情報が多くなく、家族についても情報は多くは明らかではありません。

 

結婚はされており、妻は元宝塚(タカラジェンヌ)40期生都路のぼるさんだといわれています。

 

お2人に子供がいたかどうかは確認できませんが、年齢を考慮すると、子供・孫・ひ孫までいらっしゃってもなんらおかしくはありません。

 

 

老衰での死去ということで、晩年は家族に囲まれてゆっくりとした生活を送ったことと思います。

 

ご冥福をお祈りします。

 

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